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The FENCE SHOW ! ~ザ・フェンス・ショー !~」のご案内


bind_free036.jpg舞踏家大野一雄がヨーロッパで立ち寄ったある家族の前で、すでに亡くなったその家族の母親を踊ったことがあるそうです。 大野の舞踏を見て、その家族は「確かに母がいた」と泣いたそうです。

このような舞踏は「芸術」でしょうか?
あるいはシャーマニックな「呪術」の一様式だと考えるでしょうか?

もしくはアートセラピー?シュールレアリズムや新表現主義、コンテンポラリーといった言葉が理解の役に立つでしょうか?

また、私のようなプレイバックシアターに親しむ者にとっては、この出来事は了解可能であり、思い切って言えば「再現可能」な構造として日々営んでいる経験だと言えるでしょうか。

「芸術」とはいったい何でしょうか?


bind_free020.jpg言語の違いや国境をいとも軽々と超えて行き、その地に住む人々と、魂の深みにおいて交流できる芸術作品(場作りを含む)があります。それらは個人的な気づきや抑圧感情のカタルシスといった治療的意味付けをはるかに越え、作品としての独立した「生命」を持ち、真剣にコミットする人々に、ある「働き」を及ぼします。

「芸術」と呼ばれる作品が放つ、人々への働きとは何でしょう?

中世の頃、不治の病に侵された患者達は「療養施設」に隔離され、疎外されました。多くの人々がその病気のゆえに、人格まで否定され、社会から葬られていきました。そんな人々の病室に掛けられた一枚の絵画は、遠近法によって描かれた、奥行きのあるマリア様の絵であったりしたのでしょう。

その絵を真剣に見つめる彼らにとっては、その、「絵に見入る」 体験は、彼の全人格を尊重され、生きることのできる別の世界を見るための視力を準備する時間となったのでしょうか?



bind_50.jpg私にとってはこのような「見る」体験の生じた絵画は、額縁で結界された時空間に異世界が立ち現れる舞台であり、その舞台を「レンズ」として、ある「視界」を準備してくれるものだと思えます。

アートカフェでは、このお話の続きをしましょうか。

「プレイバックシアターの一日」では、このような視界に、体験的に接近できるかもしれません。シアター・ザ・フェンスのメンバー一同、皆様との邂逅を楽しみにお待ちしております。

シアター・ザ・フェンス代表 はしもとくにひこ